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自己客観 - Information

わたしはプライドとは「自己客観性」の事ではないかと思っています。「覚悟」という言葉もけっこう近いところにいる言葉です。ふつうは覚悟というと相当なそれこそかくごを意味しますが、よく字を見れば「悟りを覚える」と書くので、「自分を知って行動する事」というニュアンスの方が「本来的」だと思い、すなわちそれは「自己客観性」だというのがわたしの「説」です。プライド=自尊心=覚悟=自己客観性 わたしはこの10年の活動を「名前を世に知らしめる為」という風に表面上(?)定義してきましたが、本当のテーマは「自分に対する客観性を得る為の行為」だったのではないかと思うのです。「捨てるという行為は捨て過ぎてしまって後悔しないと捨てる事の加減は認識出来ない」と言っていますが、自己の客観性を知る為には、同様に相当な代償を伴うものだと実感しております。「自発的」に展示会を開く講演会を開くことは、「恥ずかしい思い」というリスクがともないます。もちろんリスクを低減する方法はいくらでもあります。保護膜のような存在をつくっていろんな恥ずかしい思いをグループ力で押し返してしまえば「恥ずかしい」という皮膚感覚からは遠のけられます。しかし軽くなるかどうかは別にそういう事柄が「存在」した事実は消える訳ではありません。いつも「むき出し」で世間を肌で感じる事ができるように心がけていますが、『そんなコトしなくてもやっていけるのに』と思う自分もいつもいます。でもそんなにおおきい痛みにならない今のうちに「痛い事」を経験しておいた方が良いと言う50歳の自分がいていろいろ試みをしました。話は変わりますが、わたしは去年の暮れから今年のはじめにかけて仕事とは別に10人ぐらいの友人とお茶をしたり食事をしたりしました。おおむねわたしと相手の二人です。「誰かと一緒に街を歩くとは必要だ」そう思っています。自分が目にした事、目にした事をすぐその場で確認し「補正」することは必要で効率的な自己客観性を作る行為だと思っています。多過ぎてもいけない。「わたしの話を聞かせる」わけではありません。感じた事に対して感じた事を仔細に聞ける状態でなくてはいけないのです。街でお店を見ながら「値段当て」をしたりします。見た感じ触った感触とブランドなど様々な条件の中で「適正」と思われる値段を推測します。それよりも安ければ「お買い得」であり、高ければ「売れない可能性」を感じ、自分の中にストックし「値段に対する客観性」を磨くのです。わたしはそういうトレーニング(?)を重ねた結果かもしれませんが、「良いのに売れない」という話をした事がありません。買う人にその良さが伝わるように努める事が先だろうと思います。「良いもの」の場合は作りが丁寧で単純に見ただけではその「長持ちして壊れにくくていつまでも美しい」という良さがあります。そして見た感じよりも「高い」事が多い。その良さをちゃんと伝える責任がデザイナーだけではなく、その製品作りに関わった人達で伝える工夫をすべきだと思っています。だんだん話が広がっていきましたが、すべてが「自己客観性」というフラットな自分でなければ相手に伝わらない事だと思っていますし「説得力」というのは、「話が上手い」事でも「作り事」でもなく「人と人の信頼性」の有無によって生まれるものだと思います。自分もよく判っていないのに人の事を色々言えません。まあ判りだすと人の事は色々言わなく(言えなく)なりますが